大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(行コ)36号 判決 1970年9月18日

控訴人(原告)

遠藤章

被控訴人(被告)

群馬県教育委員会

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人(原審原告)は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対し昭和三五年九月三〇日付でした懲戒免職処分はこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人(原審被告)は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の陳述は、左に付け加えるもののほか、原判決事実摘示のとおりであるからその記載を引用する(ただし原判決事実原告の請求原因三(八)の一二行目「地方公務員法第五二条第一項」の次に「(昭和四〇年法律第七一号による改正前)」の字句を挿人する。)。

控訴人は次のように述べた。

(一)  被控訴人が在籍専従職員数の基準として固執する、組合員千人に専従者一人という線は、群馬県教職員組合が、事実上の専従職員四十数名を当局承認のもとに擁していた昭和二三年当時における正規専従職員選出の基準にすぎないのであつて、事実上の専従職員を正規のそれに切りかえてゆく組合の方針に沿つて申請された、控訴人の本件専従休暇、無給休暇の申請に対処するものとしては極めて不適切であり、全国都道府県の各教職員組合で実施されている専従職員選出の水準にも達していない。しかも被控訴人が右の基準を主張する理由は、長年の労使慣行ということだけであつて、公務支障の具体的限界という観点から検討された結果ではない。したがつて被控訴人が控訴人の本件各休暇申請に対してとつた処置は明らかに違法である。

(二)  利根村教育委員会が控訴人の各休暇申請を承認しない理由が、被控訴人から後任教員の補充を得られないことによる事務の支障ということにあるとしても、このような事務の支障は県職員専従条例にいう「公務の支障」には全く該当しない。しかも控訴人の後任者としては、西山典教諭が昭和三四年九月東中学校に配置されたから、客観的にも公務の支障はなかつたのであつて、同教育委員会の本件各不承認処分は違法である。

(三)  新町小学校教諭水沼利世は、昭和三五年三月一六日新町教育委員会に在籍専従のための休暇申請をして、四月初めに同教育委員会の不承認処分をうけたが、そのまま組合本部および多野支部の組合事務に専従した。控訴人と水沼との学校勤務の状況を比べると、双方の間に免職処分をうけると否との甚だしい懸隔はないから、本件懲戒免職処分は権衡を失し不当である。

被控訴人は次のように述べた。

(一)  控訴人の(一)の主張は失当である。在籍専従職員は、やがて教育現場に復帰する者であるから、その人数を増すことは教職員総数の増加を齎し、県としては退職金支出等の財政的負担の増大を招く結果になる。したがつて被控訴人が無制限に在籍専従を承認することはできないことであり、組合側の在籍専従者配置の必要と被控訴人ならびに群馬県側の負担増大防止の必要とを調整するため、双方の交渉により千人に一人という基準を確認し、これが慣行となつているのである。控訴人がいうような、事実上の専従職員四十数名が組合にいた事実はない。かように右慣行は合理的なものであつて、その基準を超える数の在籍専従を承認することは公務に支障をおよぼす結果となるものである。

(二)  控訴人の(二)の主張も失当である。西山教諭は控訴人の後任者ではなく、その個人的生活環境の転換が必要であつたために東中学校へ転任して来た人である。しかも同教諭は中学校の国語の教員免許状を持つていなかつた。

(三)  水沼教諭が在籍専従のための休暇を所轄新町教育委員会に申請し、同委員会が不承認処分をした事実は認める。同人は右不承認処分にもかかわらず、毎週一、二回学校に出勤する程度であつたが、昭和三五年一〇月以降は完全に学校に復帰した。よつて被控訴人は右教育委員会と協議の上、同人を処分しないことを決定したのである。

当事者双方の立証は、左に掲記するもののほか、原判決証拠欄記載のとおりであるからこれを引用する。

控訴人は甲一六号証、一七号証の一、二、一八号証、一九号証の一ないし五、二〇号証の一、二、二一、二二号証を提出し、証人金井重義、小野田精六の各証言、控訴人本人尋問の結果を援用した。

被控訴人は、乙二七号証を提出し、証人金子武男、佐藤一久の各証言を援用し、甲一六号証、一七号証の一、二、一八、二一、二二号証の各成立は認めるが、その余の前記甲号各証の成立は不知とのべた。

理由

当裁判所も控訴人の本訴請求は認容すべからざるものと判断する。その理由は左のとおり補充するほか、原判決理由と同一であるから、その記載(ただし理由の三の一四行目「第五項」の次に「(昭和四〇年法律第七一号による改正前)」を挿入する。)を引用する。

(一)  当事者双方が当審であらたに援用提出した証拠を加えて検討しても、原判決の判断の前提たる事実認定を動かすに足りない。

(二)  組合と被控訴人との間で、昭和三四年度および三五年度の在籍専従職員数について意見の一致が見られなかつたことは原判決理由四(三)記載のとおりである。控訴人は千人に一人という基準が、当時としては無意味かつ不当であつた旨主張し、被控訴人は、右基準を超える数の在籍専従を承認することは公務の支障にあたると主張する。案ずるに、在籍専従の許否は原判決理由二に記載されているように、公務の支障の有無によつて決すべきものであつて、公務の支障の有無は、従来の在籍専従者数との対比もさることながら、当該専従候補者が在籍校の勤務につかなくても、後任教員の配置または同校教員相互間の事務分担の融通等によつて、同校の教育事務が円滑に、しかも各教員に不相当の負担をかけることなく運営されることが予測されるかどうかを目安とすべきものである。抽象的に全県下の在籍専従者が何名までは公務に支障がなく、何名以上は支障があると判断することはむしろ不可能といつてよい。本件について叙上の考慮を払つてみると、昭和三四年七月一八日の第一次不承認処分当時、東中学校には控訴人の後任教員の配置も、その予定もなく、控訴人を除く一四名の教員と一名の事務職員とが教員定員一五名分の教育事務を分担していて、所轄利根村教育委員会に負担増の解消を訴えていた実情であつたことが、証人金井重義(原審および当審)、金子武男(同上)、野村類二、金子重光の各証言から明らかに認められて、これを覆えすに足る証拠はない。したがつて、その時期において控訴人が組合事務に専従することは公務に支障をきたすものであつたことを肯定して差支えない。次に、右金子武男、証人黒沢得男(第一、二回)、石田鉄次の各証言によれば、東中学校の昭和三五年度の配置教員数は、生徒数の増加に伴ない一六名となつたが、一六名中には控訴人も含まれており、利根村教育委員会も同校校長も、四月以降控訴人が学校勤務につくことを期待していたところ、再び在籍専従のための休暇申請が提出されたので、右委員会は被控訴人と協議の上、控訴人が第一次不承認処分をうけたにもかかわらず昭和三四年度中全く学校勤務につかなかつた事実を重視し、秩序維持のため控訴人を現場に戻すべきものと判断して、第二次不承認処分に踏みきつたことが認められる。右のような、村教育委員会としての秩序維持の要請が、ただちに公務の支障といえるかどうかは多少疑いが残らないでもないが、同教育委員会は控訴人の服務の監督権者であるから、監督のため控訴人を教育現場にとどめることはその権限内の事項であり、しかも控訴人が第一次不承認処分に従わなかつたという経緯がある以上、同教育委員会が昭和三五年度は控訴人に東中学校勤務を実行させるべく企画したことはなんら不当ではないと解される。そうであれば、控訴人の第二次休暇申請を承認することもまた、公務の支障に該当すると解して妨げない。したがつて、本件各不承認処分はいずれも理由があるから、控訴人が昭和三四年七月下旬以降昭和三五年九月末日まで東中学校の勤務につかなかつたことは職務上の義務違反であり、これを理由とする本件懲戒免職処分を違法ということはできない。

(三)  新町小学校教諭水沼利世の昭和三五年度における学校勤務の状況は、成立に争のない甲一〇号証と証人水沼利世の証言によりほぼ被控訴人主張のとおりであつたことが認められる。これによれば、同人が休暇申請の不承認処分をうけたのち勤務につかなかつた期間は、控訴人のそれと同じではないから、同人に対して懲戒免職処分がないからといつて、控訴人に対する本件懲戒免職処分が著るしく権衡を失するものともいい難い。

当裁判所の判断は上記のとおりであり、これと趣旨を同じくする原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、主文のように判決する。

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